「揺らがない」ということ
今週の朝ドラのテーマが
「揺らがない強さ」です。
今朝のドラマの中で
「医者は揺らがない強さを持って
患者さんに接している」
というようなセリフがありました。
患者さんは揺らぐ。
今日は「大丈夫」と思えても
次の日には「もうダメだ」という気持ちになる。
その患者さんに
「揺らがない強さ」を持ち寄り添っていく。
私もそうやって
いつも患者さんに寄り添っていっています。
ただ
この「揺らがない」というのが
ときにひとを苦しめることになりかねません。
医者であろうと
セラピストであろうと
みんな人間です。
人間だから
揺らぐのは当たり前です。
この部分を大事にしていかないと
人間としての自分を押さえ込み
仕事をするものとしての「役割」に
自分を当てはめようとしてしまう。
それはとても大きな苦しみを生みます。
私が思う「揺らがない」というのは
揺らぐのは当たり前
人間だもの!
と、揺らぎを受け入れることだと思っています。
矛盾するように聞こえるかもしれないけど
揺らぎを受け入れたとたん
揺らぎは自分のものになるので
揺らぎに振り回されなくなります。
やったことないけど
サーフィンのように波に乗る感じだと思います。
揺らぐことを受け入れることで
「強さ」になるのです。
私はひとの心に寄り添うものとして
自分の心の揺らぎを
いつも気にしています。
この間友人と
「不動」について話しました。
「不動の心」について。
私が思う「不動」は
「揺らがない」と同じように
動きを止めることではなく
動きを知って
それを受け入れる、
動くのは当たり前
だって生きているから。
自然も
世界も
宇宙も
ずっと動き続けている。
その中で
動かないというのは不自然だし
生きている限り変わり続けるのが
命だよね、
と話しました。
そう
私たちは生きている。
だから変わり続けるし
動き続ける。
それを止めようとするなんて
無理なこと。
それよりも
そんな変化や動き
揺らぎを受け入れ
乗っていくこと。
その方がうんと自然だと思うのです。
揺らぐ患者さんたちの心に寄り添いながら
私も一人の人間として
自分の心の揺らぎに寄り添っています。
だからこそ
この仕事を続けてこれたと思っています。
そして
患者さんたちは
いっとき思いっきり揺らぐと
みなさん見事に
その揺らぎを強さに変えていきます。
もちろん
それでも揺らいでいるのですよ。
でももう揺らぎ方が違う。
それまでのように
揺らぎに振り回されるのではなく
揺らぎの中心に自分がいるのです。
だから揺らいでいるけど
揺らないでいないし
とても強い。
そんなひとの可能性を
たくさん見てきました。
だから
私も揺らぐなら
思いっきり揺らごうと思っています。
それが私の
「揺らがない強さ」です。