三浦春馬さんの自殺について思うこと

俳優の三浦春馬さんが自殺されました。

たぶん、たくさんの人が

なぜ?と思っていると思います。

私は

なぜ自殺したのかは

そのひとにしかわからないから

他のひとが考えてもわからないと思います。

そして

もしかしたら

そのひとにもわからないんじゃないか、

とも思います。

今まで

死のうとしたけど死ねなかった、という

いわゆる未遂で終わったひとたちの話を

かなりの数、聞いてきました。

どのひとも真剣に死を考え

それを行動に移すくらい深刻な悩みや状況を抱えていました。

本気で死にたいと思っていた、

けど、死ねなかったと言います。

死ななくてよかったと言う人もいます。

先生、私はあの時なぜ死ねなかったんでしょうか、

と聞いてくる人もいます。

わかりません、

といつも答えます。

だって、それは誰にもわからない、

そのひとにもわからないことだと思うのです。

もしかしたら

時間が過ぎ

何年か、何十年かしたらわかることもあるかもしれません。

それでもそれは

そのひとにしかわからないことだと思うのです。

他のひとにはわからない。

何年か前

私の患者さんが自殺しました。

その患者さんは

長年うつ病で苦しんでいて

それまでに何回も自殺未遂を繰り返していました。

何回かの未遂の時は

ずっと話を聞いてきた私もわかるくらい苦しい状況で

またその状況を続けていくのは大変だったと思います。

でも本当に死の一線を超えてしまった時は

そこまで大変な時ではなかったのです。

それまで何度も未遂した時の方が大変そうでした。

でもそれは

私から見たそのひとなのです。

本当は違ったかもしれません。

何年も付き合った患者さんなので

かなりの信頼関係は築いていたと思うし

かなりの内容の話もしてくれていたとは思います。

でも

全部じゃかったと思います。

それに

本人自身も

自分のこと全部わかっていなかったと思います。

私たちはどのひとも

とても深く複雑なので

どこまでいっても

自分のことをわかり切るなんてことはないんじゃないかと思っています。

前世療法やインナーチャイルドワークをやると

いわゆる潜在意識や深層心理の部分が浮き彫りになるので

やっとわかったということがあります。

そういうことばかりです。

そんなことを見ていると

本当に自分の中の知らない部分はたくさんあるなあと

よく感じます。

自分のことですら知らないことが多いし

わからないことも多いのです。

他のひとのことは

わからなくて当たり前です。

でも私たちは

わかりたいと思うものです。

それは自然なことで

わかろうとするのは

そのひとが自分にとっての

何らかの存在感を持っているからです。

存在感がない対象に関しては

無関心です。

好感だろうが

反感だろうが

気持ちを動かされるものは

自分にとっての存在感を感じているものです。

そのひとのことがわかると

自分の感じている気持ちもわかるので

わかりたくなることも

けっこうあります。

ここはとても大事なところだと思います。

本当にわかりたいのは

自分の気持ち

自分の感じていることなんじゃないか

というところです。

私は患者さんが自殺した後

なぜ?とかなり考えました。

自殺したのが

私のカウンセリングが終わったその日の夜だったことも大きかったです。

その後

この仕事を続けていく自信も失いかけました。

自分のためのカウンセリングやセラピーも受けました。

結果わかったことは

私は彼女の死がとてもショックだったということです。

その患者さんのことが

とても大事だったことにも気づきました。

もう会えないのが

とてもつらい。

その痛みを感じたとき

号泣しました。

そして

彼女がなぜ自殺したのかはわからない

私にはわからない

ということがストンと落ちたのです。

前世療法をしていると

なんのために生まれてきたのかを知りたいという声を

よく聞きます。

実際にそのひとたちが

それを知ってみると

みなさんいろいろで

寄り添っている私はいつもびっくりすることばかりです。

でもそのひとは納得しているんです。

ああ、なるほど

よくわかりました

すっきりしました

これでまたやっていけます、ってね。

私にはわからないけど

そのひとはそれでわかったんだな、と

いつも思います。

そんなことを繰り返していると

そういう

生とか

死とか

特に大きなことは

そのひとにしかわからないし

もしかしたら

そのひとにもわからない領域のことじゃないかと思えてくるのです。

例え死の形がどうであろうと

わからない。

自ら死を選んだとしても

病気や事故での死と

もしかして変わらないのかもしれません。

三浦春馬さんの死は

ちょうどとても深いインナーチャイルドワークをやり

よくここまで死なずに生きてきたねえ、と

そのクライアントさんとしみじみしていた直後に知りました。

そのクライアントさんが

これまで死なずにきたことと

彼が死の一線を超えてしまったことは

結果的には大きく違うけど

もしかしたら

ほんのわずかな違いしかないのかもしれません。

今も時々

死にたいです、というひとたちが来ます。

死にたいくらいつらい、という気持ちの問題と

命の問題をごちゃごちゃにしないでね、

とまず話したりします。

あとは死を考えてしまうくらい

かなり考え込んでいると思うので

考えるのを少しでもやめられること

体を動かしたり

お風呂に入ったり

日向ぼっこしたり

温かいものを飲んだり

ネコの動画を見たり

まずはそんなことをしましょ、と話します。

カウンセリングやセラピーを受けに来るだけでも

何かを求めている、

何かを求めているくらい

生きたいと思っているところもあるはずだからね。

そうでなくても

生きている限り

何かとの関わりがあります。

そこに

フックみたいにちょっと引っ掛けながら

なんとかしのぐだけしかできない時もあります。

しのぐだけでも続けていくと

何かが変わることもあります。

あとは

私たちは、わからないというのは

嫌なんですね。

わからないとモヤモヤします。

わからないとどうしていいのかも

わからない。

それは不安や恐れになったりします。

でも

わからないことをわからないままで置いておくことも

けっこう大事なことかもしれません。

「今は」わからない

と時を区切ったり

「私には」わからない

と主語を限定したり

あそこはわかるけど「これは」わからない

と区別したりして

「わからない」ということを「わかる」ことも大事だったりします。

そう

そうやってなんとかやっていく。

それしかできなくてもいいのです。

それしかできない時もあるけど

ずっとじゃなかったりしますからね。

ずっと後から

そんな時もあったなあと思えるようになるかもしれません。

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