「私なんかが…」

「私なんかが、この養成コースに来てもいいんでしょうか」
って、けっこうよく聞かれます。

「私なんか」っていうのが
みなさんいろいろで

「こんなにおっちょこちょいのダメな私が
セラピストになんかになれるのでしょうか?」とか

「こんなにせっかちな私が
じっくりひとの話を聞くことができるのでしょうか」とか

「こんなにまだまだトラウマがたくさんある私が
ひとのトラウマに寄り添うセラピストになれるのでしょうか」とか

「こんなに子供っぽい私が
セラピストになんかなれるのでしょうか」とか。

まあ
みなさん、さまざまです。

セラピストという仕事をしてきて

前世療法や
インナーチャイルドワークという
ひとの心の深い部分に寄り添ってきて

これからそのセラピストを育てようとしている私が
そう聞かれて
まず答えるのは

「私だって
まだまだトラウマも
解消されてないものもたくさん持ってますよ〜。
それでもセラピストとしての仕事をしてますよ〜」

がっかりしましたか?

もしがっかりしたのなら
セラピストという仕事を誤解していることになります。

セラピストという仕事をしているからといって
人間として
ひととして
完璧にならなければいけないわけではありません。

それがセラピストとしての条件なら
どんな人もセラピストなんてものになれないんじゃないかな。

前世とか
インナーチャイルドとかの
ひとのとても深くナイーブな部分に寄り添うのなら

自分の中のとても深くナイーブな部分に寄り添う「覚悟」が必要です。

それがあれば
前世療法やインナーチャイルドワークのセラピストに育っていくことは
どんなひとも可能だと思います。

おっちょこちょいだろうが
せっかちだろうが
トラウマたくさん抱えていようが
どれだけダメで
へなちょこな自分も

ぜんぶ自分だと
受け止め
向かい合っていくこと。

養成コースでは
もちろんやり方は教えるし
とことんサポートします。

そして
いちばんは
「私なんか」「私なんて」と思う部分にも
ていねいに向かい合っていきます。

それに向かい合っていかないと
どんな人も
新しい学びを始めたり
何かを習得しようとしても
「私なんか」「私なんて」というところでブロックされて
進んでいけないことになります。

養成コースは
その名の通り
養成していくものだし
育っていくためのものです。

どんなひとであろうと
育つ可能性
また変わる可能性を持っています。

だから安心して来てくださいね。

「私だってまだまだなんですよ〜」
という講師たちが待ってます(笑)

まだまだでも
ぜんぜん大丈夫だし
それでもセラピストやってますよ〜。

だからこそ
いいセラピストだと
自負してます。

10月に船戸クリニックで待ってます。

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